税込39円のうちわけ〜アダルトチルドレンの克服日記〜

20代のひとりっ子アダルトチルドレンが、過去を振り返ったり、今を綴ったりします。

ずるい話

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自分の行為がずるいのか、正常の範疇なのかわからない。

たぶん、ずるいんだと思う。

 

昔から私は三人以上で話すのが苦手だ。

一人一人に集中できなくなるから。相手の筋肉の動きやこまかい表情を追いきれなくなる。私は人と話すときにほとんど相手の目を見ないけど、手の表情なんかはよく見ている。

それが例えば五人以上になると、言葉を発している人以外は背景に溶ける。人として認識できない。

たしかに大人数の場所でも、ニコニコ笑って聞き役になって「こなす」ことはできるけれど。好きではない。

 

そんなことから、人と会う時は二人きりで話すのが好きだ。

 

ここ数ヶ月、私はシェアハウスで暮らしている。

出会いを求めて、というわけではない。

ただ、今まで自分以外の人間が家の中に存在する、という状況が圧倒的に少なかった。

寂しさがあった。

人と暮らすとはどういうことなのかを知りたいと思った。

帰ってくると「おかえり」なんて言ってくれる人がいたらどんなに素敵だろう。隣の部屋に誰が住んでいるのかも(住んでいないのかも)わからない状況は、なんて不気味なんだ。

人と暮らすことで、どんな気持ちになるのか、知りたかった。

普通の人間に近づき、少し回復できる気がした。

事実、顔の知った人たちの側でご飯を食べたり、眠ることは、今までよりもずっと安心できた。それだけで幸せだと思ったし、今も感じている。

 

何人かの人と話をするようになった。

休日に出かけたりもした。上記の理由から基本的に二人でだ。

同居人という関係は難しい。

世間的にはそれをデートと呼ぶらしい。

 

同じ家に住んでいる場合、互いの部屋に遊びにいく敷居は一人暮らしのそれと比べてはるかに低いと思う。

ちょっと一緒にテレビを観ようとか、ゲームをしようとか。同居人なら何の問題もないと思っていた。躊躇わずに自分の部屋にも入れていた。

(ちなみに一人暮らしをしていた時は、ごくわずかな本当に信頼できる人たちしか自分の部屋には入れなかった。プライベートで閉ざされた空間であることを意識していたからだ。)

銭湯に行く、なんてのも同じように、生活のワンシーンだ。一緒に住んでいる人と行くことはなんら不自然なことではないと思っていた。

 

でも、ちょっと違っていたようで。

単純に親しい同居人だと思っていた人からコクハクされた。

困った。

そうなると色々なことの意味合いが変わってくる。

部屋に呼ぶことも、「異性を部屋に連れ込む」になる。

近場の銭湯に行ったり、健康のために市民プールに泳ぎに行くのもNGか。

 

なかなか難しい。

私は基本的に、出かけの誘いは断らない。

自分自身が口下手で人間関係を構築するのも得意ではないから、自分から拒むことは基本的にしないことに決めている。(無理して合わせなければいけない人の場合は断ることもあるけれど)

そうなってくると「代わる代わる複数人とデートに出かける女」になってしまうのか。

ただ、人とおはよう、おやすみって言えるだけで幸せなのに。

不誠実なことをしているのかもしれない、と思うと途端に苦しくなる。

実際そういうことを今の私はしているのだろうか。

 

とにかく、なにか返事を返さないといけないのだろう。

わからなくなる。