ミミック
正直なところ。あの人も、彼女らも、私も、たいして変わらないと思ったんです。
紙一重の差で、私がミミックになっていた。
一人の基地外が未来ある若者たちの命を奪った。
なーんて、そうとも限らないんじゃないでしょうか。
死にたいなら自分一人で死ねっていうけど、それでは有象無象の自殺者Aにすぎないわけです。ひとり寂しく命を絶って、はい終了。
でもね、部屋に入った瞬間、ただの自殺志願者Aは、非凡な物語の登場人物になれる。この際それが悲劇だろうと、喜劇だろうと構わんのです。舞台の中で、自分という固有の物語を持って社会から消えることができる。彼が舞台監督で、私たちは死を与えられる役者です。弱い人間にとって、なにも生み出すことができない人間にとって、役割を与えられることがどれほど幸せか。
それだけではありません。
殺されるということは、どこまでも生の責任を逃れることができるんです。
今あの車にはねられないかな。今ホームに突き落とされないかな。今、あの足場が落ちてこないかな。隕石が直撃しないかな。そんなことを常々考えています。
自分で命を絶ったら、自分の生の責任を背負わなければならない。自分の惨めさや辛さを認めなければならない。でも、不可抗力なら、仕方がないじゃないですか?
あーあ、死んじゃった。でも、仕方がないよね?
私は悪くないよね。
だって、被害者なんだから。
言ってしまえば、私は無責任な舞台役者。
彼の死でこの物語は幕を閉じます。
舞台役者たちは監督の帰還を憎むでしょうか?