税込39円のうちわけ〜アダルトチルドレンの克服日記〜

20代のひとりっ子アダルトチルドレンが、過去を振り返ったり、今を綴ったりします。

自分探し

今日も今日とて生きています。税込みです。

なぜ私はブログを続けているのでしょうか。今まで日記など、三日続いたこともないのに。なんだかんだといいながら、続けている意味は?書き続けている意味は?

 

なんでなんだろうなぁ…。

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別れると言いながら、いつまでも別れない両親。

 

互いに愛はない、相手を女として・男としてみていないと言い、果ては互いを障害者やキチガイ呼ばわりしながら、なおも同じ家に棲み着いている意味。

さっさと別れてしまえばいいのに。

互いに罵り合い、自分の実家に戻っては年老いた親に縋る人たち。

 

私はどこに帰ればいい?

誰を頼ればいい?

あの人たちは、大事な大事なママが死んだら、どうするつもりなのか。

 

 

ここ数ヶ月、相手から告られて付き合っている彼氏。

付き合ったら、彼氏がとても弱い人だった。

 

彼曰く、「いままでなんとなく生きてきたけど、行き詰まってようやく自分探しをしようと思った。」

 

エンジニアになりたくて、営業もやりたくて、でも一番好きなことは企画で、休日にやっている農業の研究をビジネス化もしたくて、エンジニアになって「手に職」をつけたくて、エンジニアになるのは農業の研究を「いつか」ビジネス化するときに自分でできれば強みになると思うからで…。

でも、最近は農業の研究がうまく行っていないから、べつに農業をやめてもいいかなと思っているんだって。

 

好きにすればいいじゃん。

 

最初は真剣に聞いていたけど、疲れちゃったよ。

「君は僕にどうなってほしい?」なんて、聞くなよ。

それ、相談じゃないでしょ。自分の選択に、責任持ちなよ。

 

恋人ってなんだっけ。

これは「支え合い」なんだっけ。

なんで、この人が好きだったんだっけ。最近、ため息ばかりだな。

 

 

 

でもね。

それでも、心のどこかで、動じていない自分がいるんだ。

自分でも驚きなんだけど。まだまだ、生きていける。

親友の存在。今まで生きてきた中で、血縁より濃い絆を結んだ人たちがいる。

彼らは戦友であり、希望であり、もしかしたら、神ですらある。

 

その存在があれば、ぜんぜん生きていける。

嫌われても、自分でいようと思える。

 

自分って、絶対的なものじゃなくて、相対的な概念じゃないのかな。

他人がいるから、自分というまとまりに気がつく。

 

平等なんてないからさ。

配られた自分のカード。その色を、他人と照らし合わせて、自分なりにステ振りしていくしかないんじゃないの。

 

自分ひとりでどうにかなることなんて知れています。

人の気持ちだとか、世情だとか、考えたところでどうにもならない問題ばかり。

その一つ一つに悩んでいては、前に進めない。

誰かの顔色を伺って、作り笑顔で取り繕って、飼われるみたいな生き方はもう嫌だ。生きるも死ぬも他人次第なんて、やっぱり悔しかったのです。

泥臭かろうが、誰かから嫌われようが、私は自分の意志で、自分の人生を歩きたい。

自分からは死なない。

それだけです。