日曜日の食卓
これほど憂鬱な食事がありましょうか。
日曜日の夕食の時間は、私にとって極めて憂鬱な時間のひとつでした。
まず前提として、私の家では以下のようなルールが私に対して課せられていました。
- 食事中のテレビは禁止
- 食事中に電気機器を触ることの禁止
- 食事中に席を立つことは禁止
- 父親よりも先に食事に手をつけることの禁止
- 父親よりも先に食事を終えて席を立つことの禁止
- 食事中に話すことの禁止(これは私のみに適応、他の二人の会話の途中で話しかけられた場合のみ返事をすること)
- 食事中に不愉快な顔をすることの禁止(常においしそうな顔で食べなければならない)
- 食事を残すことの禁止(いかなる料理も、量がいかに多かろうと食べなければならない)
- 食事の順番を守ること(汁物から、三角食べなど)
- 極力音を出さないこと
並べてみると沢山ありましたね笑
一見、しつけとして全うなものもあります。
しかし苦痛なのはこれらのルールだけではないのです。
一番の問題は、このルールを決めている本人たちの食事マナーが最低だということ。
父
・母の料理は食べない。
・基本的に一人で酒を飲みながらAV鑑賞をしている。
・AVに切りがつくと、自分でご飯をよそって食べる。
・たまに言葉を発する。内容はもっぱら仕事の自慢話。(もしくは会社の同僚の愚痴)
母
・いつ仕事の連絡が来ても良いように、常にケータイと睨めっこ。電話が掛かってきようものなら食事を放り出して最低でも1時間は自室に引きこもる。
・自分はあっさりしたものが食べたいからと自分の都合で料理を作る。得意料理は白菜を塩水で煮たもの。酢をかけて食べる。無論まずい。
・たまに言葉を発する。内容は仕事の自慢か政治に対する愚痴。
想像できますか?
自分の部屋に引きこもれたならどれほど楽だったでしょうか。
ただ時間が過ぎることを願うだけです。食べ物を喉から流し込むのです。まずそうな顔をすることは許されません。残すことも許されません。ただ、目の前にあるものを笑顔で胃に流し込むしかありません。
三人は同じ場所にいるだけで、それぞれ別のものを食べています。これが家族の食卓と呼べるのか。なぜそこまでして同じ場所にいなければいけないのか。私にはわかりませんでした。
ただ、このおかげか、私は好き嫌いがありません。そして大抵のものは美味しく感じます。食事をするたびに、喜びを感じます。料理をすることも好きです。美味しい料理を作って、人と一緒に食べることに幸せを感じます。
これから先、私が家庭を「つくる」立場に立つことがあるならば。何があっても、こんな最低な食卓にはしたくないと思います。