ミミック
正直なところ。あの人も、彼女らも、私も、たいして変わらないと思ったんです。
紙一重の差で、私がミミックになっていた。
一人の基地外が未来ある若者たちの命を奪った。
なーんて、そうとも限らないんじゃないでしょうか。
死にたいなら自分一人で死ねっていうけど、それでは有象無象の自殺者Aにすぎないわけです。ひとり寂しく命を絶って、はい終了。
でもね、部屋に入った瞬間、ただの自殺志願者Aは、非凡な物語の登場人物になれる。この際それが悲劇だろうと、喜劇だろうと構わんのです。舞台の中で、自分という固有の物語を持って社会から消えることができる。彼が舞台監督で、私たちは死を与えられる役者です。弱い人間にとって、なにも生み出すことができない人間にとって、役割を与えられることがどれほど幸せか。
それだけではありません。
殺されるということは、どこまでも生の責任を逃れることができるんです。
今あの車にはねられないかな。今ホームに突き落とされないかな。今、あの足場が落ちてこないかな。隕石が直撃しないかな。そんなことを常々考えています。
自分で命を絶ったら、自分の生の責任を背負わなければならない。自分の惨めさや辛さを認めなければならない。でも、不可抗力なら、仕方がないじゃないですか?
あーあ、死んじゃった。でも、仕方がないよね?
私は悪くないよね。
だって、被害者なんだから。
言ってしまえば、私は無責任な舞台役者。
彼の死でこの物語は幕を閉じます。
舞台役者たちは監督の帰還を憎むでしょうか?
なんのために生きるのか
なぜ生きるのか。なんのために生きるのか。なぜここに存在するのか。
わからないことばかりです。
あの人もこの人も、みんなあとしばらくすれば消えるのに。千年もすれば、偉人も愚者も、等しく存在が消える。何を成そうが、何も残さなかったとしても、同じことでしょう。
人と比べることに疲れた。誰かに値踏みされるのにも飽き飽きしている。
もう、どうでもいいよ。
この浮世を、せめてもの時間を、胸を張って生きられたなら。
何か一つでも喜びを見出せたなら。それは幸せなことなのかもしれない。
結局は自分が、満足できるか、できないか。
それに尽きるんじゃないのか。
やっぱりわからない。
むかしむかしの今の話
むかしむかしの話を聞くたび、いつも思っていたんです。
なぜ人は歴史から学ばないのか。
なぜ人は似た過ちを繰り返すのか。
でも、今、当事者になって思う。
なにも変えられやしない。
大きな渦に飲まれて、それが過ちだと気づく頃には、取り返しがつかないところまで流されている。結局のところ人間誰しも、三年後よりも三日先が大切なんです。三百年後なんて知ったことじゃない。
選ばないという選択をしているんだ。でもそれは、馬鹿だからじゃなくて。行くところまで行ったら、死んでもいいと、どこかで思っているから。
死に物狂いで守るほどの命じゃないんだよ。
おそらくまた、歴史は繰り返す。
ゆっくりと傾いた皿が、ひっくり返るのは一瞬。でもそれは蓄積の結果であり、つまるところ皆の総意だ。
その時になったら、血にまみれて、あるいは熱に融かされて、何を思うのだろう。あの時ああしていたなら、もっとこうしていたなら。そんなふうに過ぎ去った今を悔いるのだろうか。
自分探し
今日も今日とて生きています。税込みです。
なぜ私はブログを続けているのでしょうか。今まで日記など、三日続いたこともないのに。なんだかんだといいながら、続けている意味は?書き続けている意味は?
なんでなんだろうなぁ…。
別れると言いながら、いつまでも別れない両親。
互いに愛はない、相手を女として・男としてみていないと言い、果ては互いを障害者やキチガイ呼ばわりしながら、なおも同じ家に棲み着いている意味。
さっさと別れてしまえばいいのに。
互いに罵り合い、自分の実家に戻っては年老いた親に縋る人たち。
私はどこに帰ればいい?
誰を頼ればいい?
あの人たちは、大事な大事なママが死んだら、どうするつもりなのか。
ここ数ヶ月、相手から告られて付き合っている彼氏。
付き合ったら、彼氏がとても弱い人だった。
彼曰く、「いままでなんとなく生きてきたけど、行き詰まってようやく自分探しをしようと思った。」
エンジニアになりたくて、営業もやりたくて、でも一番好きなことは企画で、休日にやっている農業の研究をビジネス化もしたくて、エンジニアになって「手に職」をつけたくて、エンジニアになるのは農業の研究を「いつか」ビジネス化するときに自分でできれば強みになると思うからで…。
でも、最近は農業の研究がうまく行っていないから、べつに農業をやめてもいいかなと思っているんだって。
好きにすればいいじゃん。
最初は真剣に聞いていたけど、疲れちゃったよ。
「君は僕にどうなってほしい?」なんて、聞くなよ。
それ、相談じゃないでしょ。自分の選択に、責任持ちなよ。
恋人ってなんだっけ。
これは「支え合い」なんだっけ。
なんで、この人が好きだったんだっけ。最近、ため息ばかりだな。
でもね。
それでも、心のどこかで、動じていない自分がいるんだ。
自分でも驚きなんだけど。まだまだ、生きていける。
親友の存在。今まで生きてきた中で、血縁より濃い絆を結んだ人たちがいる。
彼らは戦友であり、希望であり、もしかしたら、神ですらある。
その存在があれば、ぜんぜん生きていける。
嫌われても、自分でいようと思える。
自分って、絶対的なものじゃなくて、相対的な概念じゃないのかな。
他人がいるから、自分というまとまりに気がつく。
平等なんてないからさ。
配られた自分のカード。その色を、他人と照らし合わせて、自分なりにステ振りしていくしかないんじゃないの。
自分ひとりでどうにかなることなんて知れています。
人の気持ちだとか、世情だとか、考えたところでどうにもならない問題ばかり。
その一つ一つに悩んでいては、前に進めない。
誰かの顔色を伺って、作り笑顔で取り繕って、飼われるみたいな生き方はもう嫌だ。生きるも死ぬも他人次第なんて、やっぱり悔しかったのです。
泥臭かろうが、誰かから嫌われようが、私は自分の意志で、自分の人生を歩きたい。
自分からは死なない。
それだけです。
がらくたとまがい物と
九月ですね。少し涼しくなってきて快適です。
まだ生きていました税込みです。
最近彼氏が転職活動中です。
大変なときにこそ助け合うのがカップルなのでしょうね。うん、きっとそうなのでしょう。
昔、父や母が風邪で寝込んでいると、壊れた人形が横たわっているようにしか見えませんでした。どうしても人間として認識できなかったのです。そんな私に、母はいつも「あなたは人の心がわからない、人間じゃない」って言ってたっけ。それもあながち間違いではなかったのかもしれないな、なんて最近思います。
彼氏は営業の仕事をしながら、休日に植物の栽培実験をしています。いずれはその実験をビジネス化することが目標だそうで。
ただ、本業の方で営業のみならずさまざまな仕事を振られることになった結果、キャパオーバーし→残業がかさみ→そこから精神を病み→精神科医に薬をもらい→精神病院に通院することに。
さらに精神科にお世話になることを知った上司からは発達障害の疑いまでかけられ…。
私が付き合い始めた頃は、彼は精神科にお世話になる前でした。
〜付き合う前〜
彼「秋には学生時代の親友たちとスペイン、フランス、ドイツを巡る旅行に行くんだ。もう随分前から計画していて、チケットもとってある。楽しみだ」
私「社会人になっても、友人を大切にしたり、海外の文化に触れたりするのは素敵だね」
〜付き合い始めてしばらくして〜
彼「仕事がきついしつまらなくてメンタルがやばい。だから精神科に通うことにしたんだ」
私「え?そ、そうなんだ…早くよくなるといいね」
〜数週間後〜
彼「毎週末いっしょにいられて、ずいぶん症状もよくなってきた!もらっていた薬ももう飲んでないよ^^安心して」
私「よかったね(精神的な病気は完治まで時間がかかると思うんだけど…。独断で薬をやめてよいのかな?)」
〜さらに一週間後〜
彼「仕事でミスを連発するから、上司から発達障害を疑われてる。精神的に回復が必要だって判断から、二週間自宅療養するように命令された。旅行はキャンセル。」
私「ええ…大変だね(回復したとか言ってた矢先に…。友人との約束はパーか…)」
〜さらに一週間後〜
彼「今日から二週間休みだ!よし転職活動しよう」
私「療養が先じゃないの?」
彼「今いる会社は大手だし安定してるけど、仕事にまったくやりがいがないし、残業は多いし、なにより学ぶものがない。ストレスが多い。だからまとまった時間ができた今転職活動する」
私「そっか…。次はどのあたりのところを目指すの?」
彼「営業か、エンジニアになろうと思う」
私「!?」
〜彼の転職ビジョン〜
私「営業かエンジニアかって、だいぶ違うと思うんだけど…」
彼「営業はもともと嫌いじゃないし、エンジニアはやったことないけど大学時代にコード書いてたからできる」
私「…?結局やりたいのはどっちなの?」
彼「本当にやりたいというか、僕に向いているのは企画職なんだけど、なにかしらの専門がないと企画にはなれないからね。まずは手に職をつけようと思って」
私「営業で手に職?」
彼「ほら、栽培実験をいずれはビジネス化したいっていっていただろ。あれをビジネス化させるときに、プログラミングができるか、もしくは自分で営業ができれば有利だと思うんだ」
私「栽培実験がビジネス化できるまであとどれくらいかかりそうなの?」
彼「うーん。6、7年とかかな」
私「…」
彼「で、税込。どっちがいいと思う?」
私「え…?自分で決めないの」
彼「意見をもらおうと思って」
私「うーん…。正直、優先順位がわからないな。栽培実験を成功させるのが目的なんだよね。じゃあ、ある意味『サブ』である次の仕事には何を重視するの?」
彼「残業が少なくて、給料がそこそこあって、未経験でも大丈夫で、手に職がついて、ストレスが少なくて、やりがいがある仕事」
私「」
そんなのないと思うんですよ。
冗談じゃないとしたら、見通しが甘すぎるんじゃないかと。
何かを優先させたいなら、何かは犠牲にしなければならない。
もし自分の中で「なにも犠牲にせずに全てがうまく行っている」としても、そのぶん誰かの人生を犠牲にしていると思うのです。
支えようと思えないんです。
軸が見えないんです。
別に転職することが悪いとは思いません。
一時的に収入が下がることもあると思います。
やりたいことのために、新しい一歩を踏み出すことは否定しません。
でも、圧倒的に、説得力が足りない。
やっぱり私はクズなのでしょう。愛のない冷たい人間なのかもしれませんね。
信用できないな、なんて思い始めてしまっている。
そして、もうそれでもいいかとも、思い始めている。
ぶっちゃけクズでもいいと思うんです。
私なりに譲れない信念はある。多少の良心も持ち合わせているつもりです。
その信条に則って、私なりの精一杯でいきようとしているわけです。
それ以上、人にどうして「あげよう」なんて、驕りです。
そこまで私に求めるのなら、そうしないと生きられないというのなら、その弱さを恥じて死んでくれ。
なぜ手を差し伸べなかったのかと、もっと尽くさなかったのかと、この人でなしと責められるなら、受け入れようと思うんです。
何を勘違いしているのかと。生来クズなんですよ、私は。
そして、クズな私は確信しているんです。誰彼構わず弱みを見せる人間は、散々人を巻き込みますが、自殺することはない人種だと。
カーペット
今住んでいる部屋の床には、もともとカーペットが敷いてあります。
先月からカーペットに原因不明の透明な汚れがこびりついてしまい、何をかけてもブラッシングしても取ることができずに困っていました。
何をこぼしたのか、まるで心当たりがない…。
しかもこの汚れ、日に日に数が増えていくのです。
ホラーか何かかな?(汚れの形が指と似ていたため)まさか霊が這いずり寄ってきている?…などと怖がっていましたが、何のことはありませんでした。
熱です。
単に熱で、カーペット自体が溶けていたのでした。
原因はヘアアイロンを床に置いていたことでした。
カーペットって、熱で溶けるんだ…!?
ちょっと考えれば化学繊維でできたカーペットが熱に弱いことなど分かりそうなものですが、今までカーペットと縁のなかった二十代女、初めてこの事実を知りました。
いやあ、恥ずかしながら単に無知なんですね。
さて、この授業料はおいくらになるのでしょうか…。めちゃめちゃ高かったらどうしよ。自分のことながら、常識がないって怖いですね。
そんなこんなでまだ生きてます。税込みです。
最近思うんです。
おそらく日本で、生まれながらの悪人なんてそうそういないんじゃないかなぁと。
利害の不一致で、たまたま自分にとって都合の悪い人を、そう呼んでいるだけなのだと。
でも、善人が幾重にも絡み合った歯車は、いつもどこかで、鈍い音がする。
毎日見かける「人身事故」の文字。ネットに溢れる死にたい、辛いという言葉。見知らぬ人と手を繋いで、自殺する人の気持ちが、私も分からないわけじゃないんです。
平和だとか平等だとか、そんな甘い言葉の裏には、いつも深い絶望がある。ただ、気づかないふりをしているだけ。
世界は残酷です。一つの輪から逃れようともがいて、ようやく先に進めたと思っても、また別の輪の中で巡っているだけ。
そんな繰り返しから救われる術を、考えているんです。
まごころは目の前にあって、私が手を伸ばせば、きっとそれは手に入る。
信じること、自分を与えること、弱さを見せること。それで変わることが、ある気がするけれど、……怖いんでしょうね。
らしくない
ぜんぶ夏のせいか。
今日もどうやら生きています。税込です。
1週間ばかりのお盆、真っ最中です。
実家に帰ってこいと命令され、生きた心地がしません。
はやく自分の家に戻りたいな。
柄でもない、お恥ずかしい話を一つ。
昨日、彼氏と飲んでいたんです。
くせが強く、脆いようで強い、不思議なひと。
そして知りたがりな人です。
きみの本音が聞きたいって、ならなんでも話しましょうかって。
浴びるようにお酒を飲みながら色々話してたんです。
日本酒を何本も空けて。
正直、酒の強さには自信があったんですね。
今まで酔いつぶれた人の介抱をすることは何度もありましたが、自分自身がひどく酔ったことはなかった。相手より先に潰れることがなかったんです。
でも、昨日はそうはいかず。
店を出て電車に乗り、暫くしたら眠くなって。
動けなくなってしまったんですね。
完全に飲みすぎです。
途中下車して...そこから記憶がありません。
何やらおんぶされていたような、タクシーに乗っていたような...。
そして目が覚めたら、ホテルで彼氏と寝てました。
いやあ恥ずかしい。
人から聞けば笑い話ですが、自分がやらかす日が来るとは。
反省しかないです。2度としないようにしたい。
目を開けるとすぐ側にその人がいて、頭を撫でながらこっちを見ていた。
ほら、水飲みななんて、ペットボトルを渡されて。
別に昨日は何もしてないから、なんてにやりと笑う。
むかし、親友に「誰を信じていいのか分からない」と言う度、だからこそお前は愛を知れと言われたっけ。当時は信じることができない者が、人を愛せるはずがないと思った。
でも、今になって、信じてみたい気もする。
なぜこの人は、こんな事を私にしてくれるのか。なぜこんなにやさしいんだろう。いつかは捨てられるのかな。なにか裏があるのかな。きれいな上部の底を、見極めようとする自分がいる。
かつて親友から、人を信じることを教わった。
多分、愛は知っているけど、恋は知らない。
浮き藻のように社会という大海を漂いながら、いつも普遍の場所を求めている。
変わらないものは無い。終わらないものもない。そんなことはわかっているけれど。私が生きるたかが数十年のあいだ、変わらずに信じられる場所が欲しかった。
家族という枠組みは、脆く、霧散してしまったから。
帰る場所がないのなら、心の休まる場所がどこにもないのなら、心と心の重なる場所につくればいい。人を愛してみろ。きっと私より辛い思いをしてきた何人かの大切な人たちが、私にそう言った。
何かが融けて、変質しはじめているのかもしれません。