先生の家にお邪魔した話
先日卒業式に参加しました。
正確には会場で映画を観ていたので話は一切聞いていませんが。
その後卒業証書を受け取り、最速タイムで帰宅しました。
(あ、大学に友達はいません^^)
大学の四年間で唯一友達になった奴は去年留年したので、卒業式は完全に一人でした。
そんなこんなで、謝恩会には参加しませんでした。
たいした恩も感じていなかったのでその時はなんとも思っていなかったのですが、
後からさすがに担当教授にはお礼の一言くらい言った方が良かったのではないかと
ありもしない良心が咎めはじめ、どこかにひっかかっていました。
そんな時にゼミの打ち上げがあるから参加したい奴は言えとの連絡が来ました。
いつもなら迷わずスルーするのですが、これが教授と会うのは最後かもしれないので行くことに。
で、飲み屋に集合のはずが人数が少ないから教授の家にお招きされてしまうことになりました。
一見何の変哲もない、新宿からほど近いマンション。
あれ?教授の家ってこんなもんなの?
そう思ったのもつかの間。
扉の先には、コンクリートむき出しの異質な空間が広がっていました。
私は怠惰で不勉強な人間なので、アルベルト・ジャコメッティと草間彌生は知っていても、中川幸夫はよく知りません。
そんな私でもわかることは、ここが日本現代美術の粋を集めた空間であるということ。
そしてここで生活することは、私にとっては不幸なことであるということくらいでした。
身の丈に合わない場所に行くと、「幸せの基準」なんかをぼんやり考えます。
ボレロを聴きながら日本で一番高価な米を食べること。
月光を聴きながらブランデーを嗜むこと。
そういったことに私はあまり、喜びを感じません。
お金を稼いだだけ幸せになれる。そういった価値観が崩れて久しいです。
「幸せ」の基準は多様化しています。
学歴もあって、社会的地位も確立した博識な教授にとって、幸せって何なんでしょう。
たくさんのお金を持つことではなさそうです。
自己実現はもうしているでしょう。
もしかしたら、幸せの対象は、「自分」ではないのかもしれません。
人に教え、与えることでしょうか。
私には想像もつかない、見えないような「幸せ」を求めているのかもしれません。
今日で世界が終わるなら、いつものラーメン屋でうまいサンラータンメンを食べて、友達と馬鹿笑いして死にたい。
きっとその間も先生は、100年後の子どもたちを想い、未来を紡ぐのでしょう。