税込39円のうちわけ〜アダルトチルドレンの克服日記〜

20代のひとりっ子アダルトチルドレンが、過去を振り返ったり、今を綴ったりします。

先生の家にお邪魔した話

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先日卒業式に参加しました。

正確には会場で映画を観ていたので話は一切聞いていませんが。

その後卒業証書を受け取り、最速タイムで帰宅しました。

(あ、大学に友達はいません^^)

大学の四年間で唯一友達になった奴は去年留年したので、卒業式は完全に一人でした。

そんなこんなで、謝恩会には参加しませんでした。

 

たいした恩も感じていなかったのでその時はなんとも思っていなかったのですが、

後からさすがに担当教授にはお礼の一言くらい言った方が良かったのではないかと

ありもしない良心が咎めはじめ、どこかにひっかかっていました。

 

そんな時にゼミの打ち上げがあるから参加したい奴は言えとの連絡が来ました。

 

いつもなら迷わずスルーするのですが、これが教授と会うのは最後かもしれないので行くことに。

で、飲み屋に集合のはずが人数が少ないから教授の家にお招きされてしまうことになりました。

 

一見何の変哲もない、新宿からほど近いマンション。

あれ?教授の家ってこんなもんなの?

そう思ったのもつかの間。

扉の先には、コンクリートむき出しの異質な空間が広がっていました。

 

私は怠惰で不勉強な人間なので、アルベルト・ジャコメッティ草間彌生は知っていても、中川幸夫はよく知りません。

そんな私でもわかることは、ここが日本現代美術の粋を集めた空間であるということ。

そしてここで生活することは、私にとっては不幸なことであるということくらいでした。

 

身の丈に合わない場所に行くと、「幸せの基準」なんかをぼんやり考えます。

 

ボレロを聴きながら日本で一番高価な米を食べること。

月光を聴きながらブランデーを嗜むこと。

そういったことに私はあまり、喜びを感じません。

 

お金を稼いだだけ幸せになれる。そういった価値観が崩れて久しいです。

「幸せ」の基準は多様化しています。

学歴もあって、社会的地位も確立した博識な教授にとって、幸せって何なんでしょう。

たくさんのお金を持つことではなさそうです。

自己実現はもうしているでしょう。

もしかしたら、幸せの対象は、「自分」ではないのかもしれません。

人に教え、与えることでしょうか。

私には想像もつかない、見えないような「幸せ」を求めているのかもしれません。

 

今日で世界が終わるなら、いつものラーメン屋でうまいサンラータンメンを食べて、友達と馬鹿笑いして死にたい。

きっとその間も先生は、100年後の子どもたちを想い、未来を紡ぐのでしょう。

 

一番いいことばを頼む

誰よりも大切な人が珍しく落ち込んでいた。

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久々にあったその人は、私の知っているその人からほんの少しだけ変わっていた。

 

変わることは自然なこと。

でも、無理をしているように感じた。

 

たぶん、みんなそれぞれ問題を抱えていて、その重さは私にはわからない。

だからせめて、私が言える一番いいことばを伝えたいと思った。

 

無理はしないで。

自分だけで抱え込まないで。

自分を犠牲にしないで。

自分のことを、いちばんに考えて。

 

口にする前に気づいていた。

それは、今私が言ってほしいことばだった。

 

自分は誰にも相談しないくせに。

一人でいつも抱え込むくせに。

 

私はその人にとって一番いいことばを伝えたいのに。

私にとって一番いいことばしか、思いつかない。

引っ越しました

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引っ越しをしました。

 

ここ一週間は段ボールに囲まれて生活していました。

そして昨日なんとか引っ越しを済ませたところです。

 

新しい街。新しい景色。新しい出会い。

でも、場所が変わったはずなのに、私の部屋は私の部屋のままでした。

 

きっと、「中身」のほうも、そう。

場所が変わったって、簡単には変わらない。そのままの私がいる。

 

時間が流れてゆくことに、あったこともない人たちの言動に、いつも心を締め付けられるけれど。私を重ねていくことに、いつか意味を見つけられると信じて。

不安の海を漂うなら

不安が波のように押し寄せて、叫びたくなります。

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不安の原因を素因数分解してひとつひとつ確かめたのならば、気持ちの整理もできるのでしょうか。

ただ、追い詰められると、その「余裕」すらなくなってきます。

不安、不安、不安。

森田堂子を聴いて気持ちを紛らわせるのもそろそろ限界です。


森田童子 『ぼくたちの失敗』 Full歌詞 hanahana

 

じゃあ、いったい何がそんなに不安なのか?

今いちばん問題なのは何か?

解決策は?

 

「何が原因なのかもわからないけどなんとなくどうしようもなく不安」。自分でも笑っちゃいます。

おそらく、具体性に欠けること、漠然とした不安がいくつも重なっている状況こそが、一番の不安の原因ではないかと、余裕のない頭で思っています。

 

  • 引っ越しの準備を誰にも頼れないことが不安
  • 引っ越しに伴い慣れていた家具を手放す寂しさ
  • 馴染んできた街を去る寂しさ
  • 引っ越し先でうまくいくか不安
  • 少し高くなる家賃でしっかり生活していけるか金銭面の不安
  • 今の職をやっていけるのか、仕事への不安
  • 将来への漠然とした不安
  • 卒業式にちゃんと出られるか不安
  • 両親の離婚がどうなるのか不安
  • 祖父母たちがどちらの家を優先するのか迫ってくるストレス
  • 祖父母たちが社会人になったら金を送金しろと言ってくるストレス
  • 父親が母の悪口を言ってくる、自分の被害者アピールをしてくるストレス
  • 父親が「あとは自分で勝手に生きていけ」などと言ってくることへの不信感
  • 母親が自分のやっているボランティア活動に私を強制的に巻き込もうとすることへのストレス
  • 母が(私とは一度も将来のことなど話しもしないのに)従兄の将来ばかり心配して気を揉んでいることへの不信感
  • 緊急を要するメールを一週間以上無視していた母に対する不信感
  • 自分の子供の卒業式より学童保育のパートを優先する母への不信感
  • 不安を相談できるほど信用できる相手がいないことへのストレス
  • 大学の人に卒業式で会わなければいけない不安
  • 謝恩会に強制参加になることへの不安
  • 仕事に必要な資格試験に合格できるか不安

 

ざっくり書き出してみると、どうやらこの不安の多くは両親と親族が与えてくるストレスに起因するようです。そして解決策は、不安を人に聞いてもらうことみたいです。

 

週末に旧友にあったら、不安のしっぽを見せてみようかな。

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浅瀬でも、人は溺れます。早い水流に飲まれたり、小石に躓いて転倒したり。大切なのは、パニックにならないこと。

落ち着けば、足がつくことに気がつけば、周りが見えてきます。

 

大丈夫。私が溺れている場所は、マリアナ海溝じゃない。

美味しいおと

ひさしぶりに美味しい音を食べました。

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私は音を聞くと味を感じることがたまにあります。常に味がするわけではありませんが、意図せず強い味に出会うこともあります。

舌で味を感じるよりも、食べ物を噛み、飲み込むときに鼻に抜ける香りのような感覚に近いかもしれません。

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最近よく映画を観ます。映画館に行ったり、加入しているNetflixで観たり。(飛行機の機内でも何本か映画を観ました)

今日観たのはジャン・レノ主演映画「レオン」。

映画のエンディング曲が、「おいしかった」。血なまぐささの残る、燻らせた肉の味。歌詞も良かった。忘れないように残しておきます。

 

Sting - Shape of My Heart


Sting - Shape Of My Heart - Offiicial Video (High Quality)

 

He deals the cards as a meditation

(瞑想にふけるようにカードを配る男)

 

And those he plays never suspect

(彼を疑うものはいない)

 

He doesn't play for the money he wins

(金のためのゲームではなく)

 

He doesn't play for the respect

(尊敬を得るためでもでもない)

 

He deals the cards to find the answer

(答えを求め、彼はカードを切る)

 

The sacred geometry of chance

(神聖なチャンスに賭けて)

 

The hidden law of a probable outcome

(隠された確率の法則を求める)

 

The numbers lead a dance

(数字に魅せられて)

 

I know that the spades are the swords of a soldier

(スペードが表すのは 兵士の剣)

 

I know that the clubs are weapons of war

(クラブは武器のしるし)

 

I know that diamonds mean money for this art

(ダイヤのカードは現ナマを表す)

 

But that's not the shape of my heart

(俺のハートの形ではない)

 

He may play the jack of diamonds

(彼の札はカードのジャックか)

 

He may play lay the queen of spades

(あるいはスペードのクイーンか)

 

He may conceal a king in his hand

(手の内にはキングを隠し持っていて)

 

While the money of it fades

(忘れているのかも)

 

I know that the spades are the swords of a solider

(スペードが表すのは 兵士の剣)

 

I know that the clubs are weapons of war

(クラブは武器のしるし)

 

I know that diamonds mean money for this art

(ダイヤのカードは現ナマを表す)

 

But that's not the shape of my heart

(俺のハートの形ではない)

 

That's not the shape, the shape of my heart

(俺のハートの形ではない)

 

 

 

 

And if I told you that I loved you

(君を愛していると言ったら)

 

You'd maybe think there's something wrong

(君は信じないだろ)

 

I'm not a man of too many faces

(俺はいくつもの顔を持たない男)

 

The mask I were is one

(かぶっている仮面は一つだ)

 

But those who speak know nothing

(人は勝手な噂をする)

 

And find out their cost

(そのツケは回ってくる)

 

Like those who curse their luck in too many places

(不幸ばかり呪う奴らのように)

 

And those who fear are lost

(恐れていては勝てやしない)

 

I know that the spades are the swords of a solider

(スペードが表すのは 兵士の剣)

 

I know that the clubs are weapons of war

(クラブは武器のしるしだ)

 

I know that diamonds mean money for this art

(ダイヤのカードは現ナマを表す)

 

But that's not the shape of my heart

(俺のハートの形ではない)

 

That's not the shape of my heart

(俺のハートの形ではない)

 

That's not the shape, the shape of my heart

(俺のハートの形ではない)

 

私は友達が少ない

私は友達が少ないです。

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私が在籍している大学は、全学部を合わせると毎年1000人ほどが入学します。ざっくり計算しても、私と同じ時期に4000人を超える人間が同じ場所に出入りしていたことになります。

…それだけ多くの人がいるにもかかわらず。

 

私がこの四年間で友達になれたのは、たった1人です。

 

とんでもない打率です。ベンチを暖めることもできません。なんなら応援スタンドすら場違いです。もちろん小・中・高の友達も極めて少ないです。

なぜ私の「友達打率」はこうも低いのか。改めて振り返ってみます。

 

2:4:2:2の割合

以前、「人の好意」に関する記事を読んだことがあります。概要としては、

 

  • 出会う人間のうち、最初の2割の人は無条件にこちらを好いてくれる
  • 次の4割の人は自分を好意的に受け入れてくれる
  • 3番目の2割の人はどちらかというと好きではなく、積極的に関わりたくない
  • 最後の4割は最初からこちらのことが嫌い 

 

まとめると6割は好意的だよやったね!ワッショイ!というオチになるのですが、この割合、どう考えても私が生きてきた20数年間の実体験と噛み合っていません。

なぜでしょう。

 

  • 友達を「つくる」ための努力をしなかった
  • 友達の関係を維持するために、努力が必要だと考えていなかった

 

月並みですが、上記点が要因ではないかと思います。私は、友達は「つくる」ものではなく、自然発生的に「なる」ものだと思っていました。なんの努力もしなくても、同じ場所に毎日通っていれば、自然と「なっていた」。

 

受け身だったんですね。

 

でも、今になって、ようやく分かってきたことがあります。人と人のつながりって、ほとんどの場合、時間が経てば自然と薄くなっていくのですね。変わらないんじゃなくて。深まっていくのでもなくて。ただ、はなれてゆく。

 

それが自然なことなのでしょう。

惹かれ合えばくっついて、心が変わればはなれてゆく。出会いも、別れも、身体が先か、心が先か。どちらもあるでしょう。ずっと同じ関係が続くことの方が、きっと不自然なことなんだと思います。

 

意思がなければ、自然に抗って「友達」をつづけることはできない。

 新しい人と出会うのは「自然なこと」。

そして、忘れて、離れてゆくのも「自然なこと」です。

 

 

変わらず、友達であること

もうずいぶん昔の話です。

私が中学生の頃、私には3人の友達がいました。

私たち4人は家庭環境や家族構成、趣味や性格もまるで違い、血液型もバラバラ。A、B、O、ABときれいに分かれていました。

それでも4人でいると不思議とウマが合い、いつも一緒にいました。

 

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いつだったかは忘れましたが、元旦に4人で校舎にもぐりこみ、フェンスにもたれかかって初日の出を眺めたことがあります。眩しい朝焼けを眺めながら、何を話したのかはもう覚えていません。ただ、その日の情景を、今も鮮やかに覚えています。

 

彼女たちと出会ってからもう10年ほど経ちます。

普段は全く連絡をしませんが、数年に1度、誰かが「そろそろ会おうか」と言うと、手早く予定を合わせて集まります。

 

矛盾ですね。

彼女たちとは、変わらず友達であることが「自然なこと」なのです。

 

場所が離れることや、時間が流れることは、信仰にとって脅威ではありません。私は彼女たちを無償で信じています。自分以外の誰かを無償で信じることは、ときに自分自身への救いとなり得ます。

 

 

無償の友情、有償の友情

友達を「つくろう」とすれば、そこには作為がうまれます。

作為はエゴにつながりやすい。エゴを持てば、無償の信頼は生まれません。

友情には「無償の友情」と「有償の友情」の2種類があると思います。

 

私は人を信じ、まごころを捧げ、永遠を紡ぎたい。

 

 

 

夜間飛行

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深夜の飛行機に乗って、ジョグジャカルタの街を後にした。眼下には極彩色の夜景が広がる。

 

大通りを行き交う車が連なり、脈を打つ。大通りは動脈。毛細血管が無数に広がり、街は静かに息づいている。

信長や秀吉、家康さえ夢想だにしなかった世界に、私はなんの苦労もなく至った。

 

「夜間飛行だね」

 

呟くように話しかけると、友はにやりと笑った。

きっとこの視点は、人よりも神に近い。私は神を知らない。それでも私は、間違いなく何者かに「生かされて」ここにいる。

地上数百メートルから見下ろせば、人の姿など虫のさざめきに過ぎぬ。愛し合おうが、殺し合おうが、たいした問題ではないのだ。

 

同じ時代に生まれた、私よりもはるかに有能な人間が、若い人間が、何人も死んでいく。世界は徹頭徹尾、不平等だ。有能な人間が早死にしたところで、それすらこの視点から見るならば「たいしたことはない」のだろう。

 

無数に蠢く生命体の、そのいくつかが世界を繋げるならば、それで未来は繋がってゆく。そんな存在に化ける一抹の、ほんのわずかな期待と見込みのもと、私は今日も生かされたのだ。