税込39円のうちわけ〜アダルトチルドレンの克服日記〜

20代のひとりっ子アダルトチルドレンが、過去を振り返ったり、今を綴ったりします。

いつかのまほろば

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必要な愛の大きさはいつも同じではなくて、人生の時期によって違うんだろうなあと思います。

 

今日も今日とて生きてます。税込みです。

顔も知らぬあなたは元気ですか。

少しは笑ってますか。

 

先週風邪を引き、風邪は治ったものの気管支炎に罹ったようで息がくるしいです。

体の苦しさはどうでも良いのです。頭がぼやけていなければさしたる問題ではありません。薬を飲めばいずれ治りますし、治らなければそれまでです。

 

一ヶ月ほど前から、母から何度も電話がかかってきていました。私は何の用もないので、そのままにしていました。

 

しかし、あまりにしつこい。

ついに離婚か、と微かに希望をもって電話を掛け直すと、最近どうだとか内容のない話でした。

 

問題はそこからです。

 

風邪気味だと早々に電話を切り上げたのですが、

今日になって、母が直接私の住むシェアハウスに差し入れの段ボールをもってやってきたのです。

 

……なんて気持ちが悪い。

何を考えているのでしょうか。まさか優しさのつもりでしょうか。

 

必要な愛の大きさはいつも同じではなくて、人生の時期によって違う。

今になって思うのです。

 

おそらく、幼少期から10代までが、純粋に「与えられる」愛を最も多く求める時期なのだと思います。心から信頼できる人から、たっぷりと愛情を受け取ること。それはおそらく、将来、心の強さになる。人を愛する源になるのでしょう。

 

でも、もういいんですよ。

与えられるだけの愛は。

私はたくさんの人に会って、心を渡し合う強さを知った。

私はもう大人なので、自分の心に自分で水を与えることもできる。

もちろんそれには限界がありますが。

 

 

私がまだ小学生のころ、両親はいつも家にいなかった。

私が喘息にかかるたび、母はめんどくさそうに財布から1万円を取り出して、「これでタクシー呼んで病院行ってきなさい」と仕事に向かった。

夜に喘息で呼吸ができずにいる私のそばで、父は涼しい顔をしてタバコを吸っていた。

 

しっかりと覚えているんです。忘れてなどいないのです。

あの時、朦朧とした意識の中で、いつかのまほろばを願った。

本当のやさしさとは何か。

本当の愛とは何か。

いつか、そう、いつか。

 

この間心を交わすことができる大切な友人の一人に、両親のことを話した。

彼は笑って、

「シンプルにさ。君が苦しいと思うのなら、そう思ううちは会わなくていいでしょ。それは何も悪いことじゃないし、ただ素直でいればいい」

そう言った。

 

私は母の優しさを信じることができない。

ただシンプルに、彼の言葉と、彼が言う私の素直さを信じたいと思う。