箱庭で夢をみる
どうも、税込です。
まだまだ生きています。
この間雑誌を読んでいたら、ネットにネガティブなことは書いちゃいけない。
言葉はずっと残るし、ネガティブな気持ちを連鎖させても良いことなんてひとつもないから的なことが書いてあって笑った。他人の苦労は蜜の味でしょ?そういうのお腹いっぱいなんだ。
最近、「なんのために生きているのかわからない」とか、「夢も希望もない」とかグーグル先生に検索をかけることが日課になってる。
友達から遊びに誘われたり、ライブに誘われたり、告られたり、まあいろいろと、ハタから見たらマシなのかもしれないけれど。ずっと気持ちが落ちているんだ。
昨日担当していた大きい仕事に区切りがついて、気持ちが切れてるってのもあるんだと思う。先週がむしゃらに働いて、今週ずっと体調崩していて、それも影響してる。
でも、もっと根本的なところで、なんか大きな穴がどんどん広がっていくような感じなんです。
なんのために生きているかなんて、なんの意味もないよね。
まわりには優秀で素晴らしい人たちがいっぱいです。ちょっと検索してごらん。
自己嫌悪でいっぱいになるから。
あなたが苦手なことを得意としている人は山ほどいるし、あなたが得意なことだって、もっと得意な人はいくらでもいるんだよ。
自分の価値の軸を、自分に置けない人間は弱いと思う。
周りとの比較でしか自分の価値を測れない人は、不安定だ。
周りと比べることで、自分が幸せなのか、不幸せなのかを知る。
周りと比べることで、自分は価値があるのか、無いのかを知る。
私は自分という存在の重みを、比較の中にしか見出せない。
人の些細な言葉が刺さるんです。
もういいやって思うんです。
自分をアピールしろったって、不良品の営業はしたくない。
自社製品を良いと思わない。信用もしていない。
自分が望むことも、好きなこともわからない。
虚しさがいっぱいです。
たとえば、箱庭のような世界に閉ざされて、情報なんて本か新聞か、人づてくらいしかなかったとしたら、私は自分の基準をどこに置いたのだろう。毎日会う人の数は、実は変わらないのだろうか。
満員電車で押し合う人なんて、人とも思っていないもの。実際に私が、1日の中で、人として心を通わせている人は何人いる?その数人だけなんじゃないのか。
見たことも話したこともない海の向こうの人が、目の前にいるような気になっている。数字の一つ一つは人格で、いつも数に怯えている。でもそれは、本人だとしても、まやかしなんじゃないかな。
わからない。
筋の通らない話。なんの解決にもならない。
生きている意味がわからない。
私もまやかしですよ。
熱をもったがらくた。
あなたに噛みつくことはないから、安心して。