税込39円のうちわけ〜アダルトチルドレンの克服日記〜

20代のひとりっ子アダルトチルドレンが、過去を振り返ったり、今を綴ったりします。

離婚という自由

私が小学生の頃から、父と母の仲は険悪でした。

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母が、仕事を優先して子育てや家事を二の次、三の次にしたから。

 

収入は父が圧倒的に多く、母はパートよりも稼げないコンサルタントアシスタントでした。給料は定額で毎月8万円。彼女の稼ぎでは、家族はおろか彼女ひとり生きていくことはできません。

 

それでも、それにも関わらず、彼女は仕事を辞めなかった。毎日朝から晩まで家を空け、父や私が電話をかけてもいつも携帯は繋がらない。夜21:00をすぎた頃に一方的に家に電話をかけ「適当にごはん作っといて。もちろん、自分の分だけじゃなく、あの人と私の分も作るのよ。家に居る人間が作るのは当たり前よね?私は忙しいの」。そう言ってきます。

でも、冷蔵庫にはいつも何もありませんでした。そして食べ物を買うお金も渡されていませんでした。

 

母は土曜日も日曜日も関係なく、仕事に打ち込んでいました。忙しい、大変な仕事をしているといつも言っていました。

 

母がよく言っていたものです。

 

「私は子供の奴隷じゃないのよ」

 

理解できない話ではありません。彼女は子育てのために仕事を辞め、専業主婦として家を守り、子供を育てる人生は、自分の人生ではないと考えた。そういった生き方ではなく、社会人として働き続けることを選んだ。

ただ、子供を育てたいという意思もあった。だから両方やろうとした。でも上手くいかなかった。どちらかに絞ることはしなかった。しかし両方をうまくやるほど、彼女は器用じゃなかった。両方とも中途半端になった。

 

父は家庭を開けて子供を放ったらかし、仕事に明け暮れ、家計を支えるでもない母を妻として軽蔑しました。

 

 

仕事と子供を天秤にかけた話

母が事あるごとに、私に聞かせたエピソードがあります。

子供を産むと母が言った時、コンサルタントの上司のほとんどは反対した。子育てをしながら、片手間にできる仕事ではないから。子育てをするということは、100%を仕事に注げなくなるということだから。100%で挑めないなら、今後大きなキャリアアップは見込めない。少数精鋭でやっているコンサルタントチームに、中途半端な気持ちの人間がいることは良くない。多くの上司が、彼女にコンサルタント業を辞めることを勧めたそうです。

 

しかし彼女の直属の上司は、彼女の意思を尊重しようとした。彼女を信じた。そして母は、コンサルタント業と子育て、両方をやろうと決めました。

 

私が産まれて三年間、母は仕事を休んで私を「集中して」育てました。母いわく、「自分の意思で言葉を話せるようになるまでは、他人の手に渡したくないと思った。言葉が話せるようになれば、自分で話せるんだから、子育ては一段落する」。

 

そして私が3歳になると、母は私を人に預け、仕事に復帰しました。私は保育園だけでなく知人の家やホームヘルパーの家、市の施設などに預けられました。

 

私が3歳の頃、母はいつも通り私を施設に預けて遠方で開かれる会議に参加しました。会議は数日に渡って続き、その間母は家を空けてホテルに泊まる予定でした。その会議はコンサルタントチーム全体にとっても、非常に重要なものでした。しかしその時、母の元に連絡が届きました。

 

私が高熱を出して苦しんでいると。

 

母は迷った末、会議の途中で会議を放り出して新幹線に乗り、私の元に戻りました。その時、母の直属の上司は何も言わなかったそうです。

進んでいた商談はすべて水の泡。その事件で母は大きく信頼を失いました。

 

母はその時のことを振り返って言います。「あの当時は本当に浅はかだった。あなたはあの時私が帰らなくても死ぬことはなかったのに、わざわざ仕事を放り投げて戻ってしまった。そのせいでさんざん怒られたし、周りに迷惑もかけた。私はあの時子供と仕事を天秤にかけて、間違った選択をしてしまった。私には度胸がなかった。」

 

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でも、私は彼女が間違えたのは、その場の判断ではないと思っています。ツメが甘いんだと思います。子育てと仕事、その両方をやっていこうと決めたのなら、人より苦労をすることは当然です。子育てを立派にやることだけでも、大変で、大切なことです。そんなことは、分かっていたはずです。効率を考える。多くのセーフティーネットを予め用意する。まさか、を予測して、手を打たなければなりません。

 

母は夕飯を作る時、帰宅するとまずお湯を沸かしてお茶を淹れ、テレビを観ながらお菓子を食べて休憩してからお米を研ぐ人でした。つまり段取りが悪いんです。また、醤油がなくなってはじめて無くなったことに気づき、買い物に行く度に醤油を買ってくることを忘れ、半月たってようやく新しい醤油を買うような人でした。

 

彼女が子育てと仕事を両立するなど、到底できない話でした。

 

 

離婚という自由 

先日父から電話が来ました。母と離婚するようです。

自分は家庭のために働き、お金を払ってきた。多くの時間を費やした。母にはもう気持ちがない。1人で、自分のために、自分の時間を自由に生きたいんだそうです。離婚して自由になりたいんだそうです。

 

でもね、その自由って、責任の放棄じゃないのかな。

 

母が言う「私はあなたの奴隷じゃない」も、

父が言う「離婚して自由になりたい」も、

私には「自分で決めて背負った責任を一方的に放棄したい」

に聞こえてしまうんです。

 

私はこの世界が好きだから、生まれてきて良かったと思ってます。

彼らを尊敬はしていませんが、憎んでもいません。

愛してはいませんが、感謝してます。

ただ、離婚をすれば、全部が終わるわけじゃないんじゃないかな。

3歳まで面倒を見たら、それで子育ての全部が終わるわけじゃないんじゃないかな。

 

いつだって積み上げるのは困難で、壊すのは簡単ですね。

手に入れて、いらなくなったらポイ。

ずっと大切にすることは難しいですね。

 

もう少しだけ、人を思うことが出来たなら。

互いを尊重しようと思えたなら。

バラバラになることは無かったのにね。