税込39円のうちわけ〜アダルトチルドレンの克服日記〜

20代のひとりっ子アダルトチルドレンが、過去を振り返ったり、今を綴ったりします。

とある言葉が

僕に突き刺さる。

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ぼんやりと生きています。税込みです。

 

風邪が悪化して肺炎にかかりました。なんとか入院は免れ、薬をがぶ飲みして生きています。時代が時代なら、命がいくつあっても足りないですね。良い時代です。

 

ここのところ母がしきりに電話をかけてきます。ストーカーみたいです。

ほとんど全て無視していたら、それが気に食わなかたようで。電話に出た時にしこたま苦言を呈されました。

 

「1日に一度も電話を返せないってなんなの!?」

「あなた、そんなに忙しいって、大した身分でもないくせに!」

「返事も返せないなんて、社会人の基本がなってないのよ!どうせ他の人にも返事もろくに返していないんでしょう!!」

「社会人の自覚がないのよ!社会人失格よ!!」

 

スピーカーホンに切り替えて、スマホを隅に押しやり、会話の合間っぽいところで相槌を打ちます。内容は極力頭に入れません。全部飲み込んでたら、心がやられてしまいます。

 

もうこんな人、信頼も尊敬もしていないし、どうでも良いのですが。

それでも言葉は人を傷つけるんですね。

まあ、すれ違いざまに知らない人から「バカヤロー」とか言われたら嫌ですもんね。

 

一週間ほど前に、晴れて父が無職になったそうです。

せっかくイイ収入もらって、立派な肩書きつけてたのにね。退職勧告でもなく、単に自発的にやめたんだとか。自分でもびっくりするほど興味がないです。

 

おそらく、私の中で「父」という存在は、随分と前に死んだのです。

 

いつだったか、目の前で父が死ぬ夢を見た。その時かもしれません。

その時、父への畏怖だとか尊敬だとか信頼だとか愛だとか、すべてまとめて消えたのでしょう。

いつからか、家で寝ている父を、がらくたとしか見えなくなった。

父が風邪で寝込んでいると、故障した機械が転がっているように見えた。

金を稼ぐという機能を失った機械。それにはなんの価値もないように思えて、そこになんの感情も生まれなかった。

今の父も、それと同じ。

 

お盆休みに帰ってこいと命令されました。

父が今後のプランを話したいんだそうです。

どーだっていいんです。興味ない。なのに、頑として戻らないと言えばいいのに、何を躊躇っているんだろう。まだ怖いのでしょうか。

 

関係を完全に断つより、都合の良い距離感で繋がっていた方が利用できる。そんな損得勘定かもしれません。

 

母の声を聞いてから、吐き気と胃の痛みがひどいです。この痛みを取るか、親の利用価値をとるか。過去の私にちょっと戻れば、最高のピエロを演じられる。そうやって一時を凌ごうか。

悩ましいです。

 

 

 

 

え?

私も大概クズですよ。改めて言うまでもないですが。

 

戻るにしても、あの家で寝たくないなぁ。寝首をかかれたら嫌だな。

いつかのまほろば

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必要な愛の大きさはいつも同じではなくて、人生の時期によって違うんだろうなあと思います。

 

今日も今日とて生きてます。税込みです。

顔も知らぬあなたは元気ですか。

少しは笑ってますか。

 

先週風邪を引き、風邪は治ったものの気管支炎に罹ったようで息がくるしいです。

体の苦しさはどうでも良いのです。頭がぼやけていなければさしたる問題ではありません。薬を飲めばいずれ治りますし、治らなければそれまでです。

 

一ヶ月ほど前から、母から何度も電話がかかってきていました。私は何の用もないので、そのままにしていました。

 

しかし、あまりにしつこい。

ついに離婚か、と微かに希望をもって電話を掛け直すと、最近どうだとか内容のない話でした。

 

問題はそこからです。

 

風邪気味だと早々に電話を切り上げたのですが、

今日になって、母が直接私の住むシェアハウスに差し入れの段ボールをもってやってきたのです。

 

……なんて気持ちが悪い。

何を考えているのでしょうか。まさか優しさのつもりでしょうか。

 

必要な愛の大きさはいつも同じではなくて、人生の時期によって違う。

今になって思うのです。

 

おそらく、幼少期から10代までが、純粋に「与えられる」愛を最も多く求める時期なのだと思います。心から信頼できる人から、たっぷりと愛情を受け取ること。それはおそらく、将来、心の強さになる。人を愛する源になるのでしょう。

 

でも、もういいんですよ。

与えられるだけの愛は。

私はたくさんの人に会って、心を渡し合う強さを知った。

私はもう大人なので、自分の心に自分で水を与えることもできる。

もちろんそれには限界がありますが。

 

 

私がまだ小学生のころ、両親はいつも家にいなかった。

私が喘息にかかるたび、母はめんどくさそうに財布から1万円を取り出して、「これでタクシー呼んで病院行ってきなさい」と仕事に向かった。

夜に喘息で呼吸ができずにいる私のそばで、父は涼しい顔をしてタバコを吸っていた。

 

しっかりと覚えているんです。忘れてなどいないのです。

あの時、朦朧とした意識の中で、いつかのまほろばを願った。

本当のやさしさとは何か。

本当の愛とは何か。

いつか、そう、いつか。

 

この間心を交わすことができる大切な友人の一人に、両親のことを話した。

彼は笑って、

「シンプルにさ。君が苦しいと思うのなら、そう思ううちは会わなくていいでしょ。それは何も悪いことじゃないし、ただ素直でいればいい」

そう言った。

 

私は母の優しさを信じることができない。

ただシンプルに、彼の言葉と、彼が言う私の素直さを信じたいと思う。

 

 

箱庭で夢をみる

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どうも、税込です。

まだまだ生きています。

 

 

この間雑誌を読んでいたら、ネットにネガティブなことは書いちゃいけない。

言葉はずっと残るし、ネガティブな気持ちを連鎖させても良いことなんてひとつもないから的なことが書いてあって笑った。他人の苦労は蜜の味でしょ?そういうのお腹いっぱいなんだ。

 

最近、「なんのために生きているのかわからない」とか、「夢も希望もない」とかグーグル先生に検索をかけることが日課になってる。

 

友達から遊びに誘われたり、ライブに誘われたり、告られたり、まあいろいろと、ハタから見たらマシなのかもしれないけれど。ずっと気持ちが落ちているんだ。

昨日担当していた大きい仕事に区切りがついて、気持ちが切れてるってのもあるんだと思う。先週がむしゃらに働いて、今週ずっと体調崩していて、それも影響してる。

 

でも、もっと根本的なところで、なんか大きな穴がどんどん広がっていくような感じなんです。

 

なんのために生きているかなんて、なんの意味もないよね。

まわりには優秀で素晴らしい人たちがいっぱいです。ちょっと検索してごらん。

自己嫌悪でいっぱいになるから。

あなたが苦手なことを得意としている人は山ほどいるし、あなたが得意なことだって、もっと得意な人はいくらでもいるんだよ。

 

 

自分の価値の軸を、自分に置けない人間は弱いと思う。

 

 

周りとの比較でしか自分の価値を測れない人は、不安定だ。

周りと比べることで、自分が幸せなのか、不幸せなのかを知る。

周りと比べることで、自分は価値があるのか、無いのかを知る。

 

私は自分という存在の重みを、比較の中にしか見出せない。

 

人の些細な言葉が刺さるんです。

もういいやって思うんです。

 

自分をアピールしろったって、不良品の営業はしたくない。

自社製品を良いと思わない。信用もしていない。

 

自分が望むことも、好きなこともわからない。

虚しさがいっぱいです。

 

たとえば、箱庭のような世界に閉ざされて、情報なんて本か新聞か、人づてくらいしかなかったとしたら、私は自分の基準をどこに置いたのだろう。毎日会う人の数は、実は変わらないのだろうか。

 

満員電車で押し合う人なんて、人とも思っていないもの。実際に私が、1日の中で、人として心を通わせている人は何人いる?その数人だけなんじゃないのか。

 

見たことも話したこともない海の向こうの人が、目の前にいるような気になっている。数字の一つ一つは人格で、いつも数に怯えている。でもそれは、本人だとしても、まやかしなんじゃないかな。

 

わからない。

 

筋の通らない話。なんの解決にもならない。

生きている意味がわからない。

 

私もまやかしですよ。

熱をもったがらくた。

あなたに噛みつくことはないから、安心して。

辛かった過去なんて

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誰にでもあるものだって、わかっているけれど。

 

生まれた場所も、生きてきた道も違うのだから、痛みはそれぞれだ。

平凡な人生がつらかった、なんて人もいるのだろう。

それも一つの痛み。

誰も人の痛みを否定することはできない。

 

相手の痛みを受け止めないくせに、自分の痛みだけ押し付けようなんて勝手だね。

 

カミソリみたいに尖っていて、それでいてガラスのように脆いひと。

優しくしようとしているのはわかっているけれど、その裏に自己中心的な価値観が見え隠れしている。

無理のある優しさを振りまく本当の気持ちは。

いつも一人で冷静を装っているけど、本当の気持ちは?

 

どこかで、痛みを感じとっていたんだ。

この感覚は、父に似ている。

過去の愛を渇望している。

 

与えることを知らないひと。

この人の側にいたら、また少しずつ私が食べられてしまう。

ちいさなかけらになって、また見失ってしまう。

 

あなたには、私の過去は渡さない。

だから、あなたの過去も背負えないや。

金魚

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夏ですね!いやですね!

夏生まれですが冬が大好きです!

 

今日は珍しく暗くない記事です。

お絵描きしていると明るい気持ちになれるから良いです。

 

AdobeXDについて知る必要があったので、趣味と合わせてパスで遊んでみました。

もともとパスで形を取るのは得意ではないのですが、サクサク簡単操作でイラレ先輩よりもはるかに使いやすかったです。ええやん

 

金魚ってフランス語だと毒に似てますよね。…という安易なカラーリングです。

楽しかったぁ

言い訳のうらがわ

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今は恋する時間がないからごめんなさい、なんてさ。

安い嘘だよね。

そんなことはわかっている。

 

本当は、怖かったんだと思う。

 

父の日に妹と父と、東京で久々に会って夕飯を食べたんだって。

自分で予約して、もちろん会計は自分持ち。

でも父は気を利かせて、払った以上の値段の鞄を買ってくれた。

そして別れ際には今度帰省するときのお金だなんて言って、小遣いもくれた。

昔はさんざん親に迷惑かけたけど、少しづつお礼していかなきゃな、なんて嬉しそうに笑っている。

今回は母は東京に来られなかったけど、今度は自分が帰省してみんなで出かけたいな。

そんな話をやや照れ臭そうに話すひと。

 

素直に、素敵だと思った。

そんな家族がずっと続けばいい。

きっとこの人は愛のある家庭で生きてきた人だ。

 

でも、同時に怖くなった。

この人に、父と一度も目を合わせて話せたことがないなんて。

母から散々「人間じゃない」と言われて生きてきたって。

言えない。

 

言ったら、そんなことあるわけないと怒るかな。

それとも、神妙な顔してなんとか同情してくれるのかな。

理解なんてしてもらわなくていい。

でも、あなたにやっぱり言えないや。

 

引かれるのが怖いのかな。

自分を変な奴だって思って欲しくないのかな。

単純に、自分の内面を晒すのが怖いのかな。

自分でもわからないんだ。

 

暖かい家族のもとで育った人と一緒に生きられれば、私も変わるかもしれない。

そう思って昔、付き合った人がいた。

どこまで行っても愛せなかった。

しまいにはキスしようが何しようが、肩越しにぼーっと景色を眺めてるだけ。

こんなに優しさをくれるのに、受け入れてくれるのに、心の痛みは増すばかりだ。溢れんばかりの愛をくれるその人から、逃げたくてたまらなかった。

 

原因が自分にあることは明らかだ。

恋愛の問題は一人じゃ解決できないらしい。

でもあれから、コクハクされてもだめなんだ。

信じられないんだ。

この人になら内面を打ち明けても大丈夫だと、思えない。

伝えなければ変わらない。

 

ずるい話

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自分の行為がずるいのか、正常の範疇なのかわからない。

たぶん、ずるいんだと思う。

 

昔から私は三人以上で話すのが苦手だ。

一人一人に集中できなくなるから。相手の筋肉の動きやこまかい表情を追いきれなくなる。私は人と話すときにほとんど相手の目を見ないけど、手の表情なんかはよく見ている。

それが例えば五人以上になると、言葉を発している人以外は背景に溶ける。人として認識できない。

たしかに大人数の場所でも、ニコニコ笑って聞き役になって「こなす」ことはできるけれど。好きではない。

 

そんなことから、人と会う時は二人きりで話すのが好きだ。

 

ここ数ヶ月、私はシェアハウスで暮らしている。

出会いを求めて、というわけではない。

ただ、今まで自分以外の人間が家の中に存在する、という状況が圧倒的に少なかった。

寂しさがあった。

人と暮らすとはどういうことなのかを知りたいと思った。

帰ってくると「おかえり」なんて言ってくれる人がいたらどんなに素敵だろう。隣の部屋に誰が住んでいるのかも(住んでいないのかも)わからない状況は、なんて不気味なんだ。

人と暮らすことで、どんな気持ちになるのか、知りたかった。

普通の人間に近づき、少し回復できる気がした。

事実、顔の知った人たちの側でご飯を食べたり、眠ることは、今までよりもずっと安心できた。それだけで幸せだと思ったし、今も感じている。

 

何人かの人と話をするようになった。

休日に出かけたりもした。上記の理由から基本的に二人でだ。

同居人という関係は難しい。

世間的にはそれをデートと呼ぶらしい。

 

同じ家に住んでいる場合、互いの部屋に遊びにいく敷居は一人暮らしのそれと比べてはるかに低いと思う。

ちょっと一緒にテレビを観ようとか、ゲームをしようとか。同居人なら何の問題もないと思っていた。躊躇わずに自分の部屋にも入れていた。

(ちなみに一人暮らしをしていた時は、ごくわずかな本当に信頼できる人たちしか自分の部屋には入れなかった。プライベートで閉ざされた空間であることを意識していたからだ。)

銭湯に行く、なんてのも同じように、生活のワンシーンだ。一緒に住んでいる人と行くことはなんら不自然なことではないと思っていた。

 

でも、ちょっと違っていたようで。

単純に親しい同居人だと思っていた人からコクハクされた。

困った。

そうなると色々なことの意味合いが変わってくる。

部屋に呼ぶことも、「異性を部屋に連れ込む」になる。

近場の銭湯に行ったり、健康のために市民プールに泳ぎに行くのもNGか。

 

なかなか難しい。

私は基本的に、出かけの誘いは断らない。

自分自身が口下手で人間関係を構築するのも得意ではないから、自分から拒むことは基本的にしないことに決めている。(無理して合わせなければいけない人の場合は断ることもあるけれど)

そうなってくると「代わる代わる複数人とデートに出かける女」になってしまうのか。

ただ、人とおはよう、おやすみって言えるだけで幸せなのに。

不誠実なことをしているのかもしれない、と思うと途端に苦しくなる。

実際そういうことを今の私はしているのだろうか。

 

とにかく、なにか返事を返さないといけないのだろう。

わからなくなる。