背中に夕日がおちるとき
生きていますか。
私は今日も生きています。
シェアハウスに住んでいると、たくさんの輝いた人と出会います。
辛いことがない人なんていないんですよね。
みんな苦しい過去もあるんですよね。
でも自分の歩く方向を向いて、少しづつ進んでいる。
そんな彼らが眩しくて、私は目を閉じたくなります。
昔、どこにも行けなかった私。
リビングの窓にもたれて、夕日が落ちていく時をすごしていました。
何度も何度も。
背中に伝わるガラスの冷たさと、夕日のあたたかさ。
けして振り向くことはないんです。
外に出ることもない。
リビングがオレンジに染まって、やがて暗闇に包まれていく。
その刹那に輝くグラスのまぶしさが愛おしかった。
それは命みたいで。
私はそれを、ガラスを隔てた閉ざされた場所から、ただ感じていた。
今も変わらないのかもしれません。
私は私という閉ざされた箱から、ただ人の営みを見つめている。
命の揺らめきを愛しいと思うのです。
私はなぜ生きているのでしょうか。
理由がないことはわかっているけれど。心が乾くのです。
あの人を出し抜いてやろう、あの人より優れていたい、あの人を貶めてしまえ、あの人に勝ちたい。そんな気持ちは無くて。
自分のたかが数十年の命、どうすれば良いのか。何をして死ぬのか。
途方にくれているんです。
なぜ何かをしようと思うのでしょうか。
初夏の日差し、風の涼しさ、それだけではいけないのですか。
午後一時カーテンを閉めて
自分の心を確かめるの。
これは今から半年くらい前の写真。
その当時、午前1時から3時くらいまで、街をぶらつくのが私のマイブームだった。
身を裂くような寒さが、生きている実感をくれる。
手も足も見えない闇の中を彷徨うのが好き。
私はこういう時、外見で得をしている。
コンビニの袋の一つでも持っていれば、誰も怪しまないもの。
ポケットにナイフを隠しているかもしれないのにね。
「危ないから早く帰りなさい」なんて。にこにこしちゃう。
やわらかくて賑やかな人たちに囲まれていると楽しいけど、心のどこかが疼くのよ。
物足りない。明るすぎる。
今日はお昼過ぎからカーテンを閉めて、部屋の明かりを消して。
ずっとこのまま。少し落ち着く。
ブラウン管のテレビが唯一の愛だったあの頃を思い出す。
今日でゴールデンウィークも終わり。
父も母も、ママのお家に帰ったようだ。
昨日までパパとママの元でぬくぬく過ごしていた母から電話があった。
今日はご機嫌みたい。
従兄弟の引きこもりが、二浪していた男が、新しく大学生活を始めたんだって。
これで彼の人生も、従兄弟の一家も一歩前進だと。
まるで自分のことのように喜ぶ母。
あなたの家庭は崩壊しているのにね。
私、素直に喜べない。
もうどうでもいいことが、私を何度も縛りつける。
新しい場所で変わろうと思っても、消えない狂気がある。
このブログが、証明になればいい。
真面目でニコニコ笑う女が、ある日突然死んだのなら。
あるいは、ある日肉親を○○○○○○。
勤務態度も良く、謙虚で良い子だったのに?
あんなによく笑う人がどうして?
ごめんね、全部嘘だったのよ。
どう振る舞えば良い印象を与えられるのか、知識を実践してるだけなの。
そこに心はなかった。
あの街を離れてから、夜の散歩はお休みしていた。
そろそろ始めようかな。
私は前に進んでる?
サイト作ってみました
サイト作ってみました。
今までずいぶんと怪我をして、塞ぎ込んだり落ち込んだり失敗を繰り返してきました。
そして何もなくなりました。
もう失うものも、背負っているものもないので、人様に迷惑をかけない範囲で自分のやりたいことをやってみようと思います。
少しづつ、少しづつ 。
前に進めますように。
名前が覚えられない
一月ほど前からシェアハウスに住んでいる。
70人ほどが暮らすシェアハウス。一見、アスペ気味でアダルトチルドレン、協調性皆無の私がここで住むのは自殺行為だ。
でも、じつは思ってたよりは順調?だったりする。
私は人との距離感が掴めない。遠慮の仕方がわからない。だから初対面の会話を怖がることがない。(相手が目上でも緊張は全くしないし、敬う気持ちがないからまぁ失礼な奴だ)
それがうまいこと回るパターンだと、なんとなくぬるっと輪に入れる。
これだけ人がいると、各個人と遭遇する頻度は低い。「人が居る環境」の隅っこに居る、という状況が作りやすい。
のちのち深く知り合うと上手くいかなくなるんだけどね。
はじめましてから一ヶ月経って、ゴールデンウィークを迎えるころに露呈する問題がある。
私は1人もフルネームを覚えていない。
苗字を覚えたのも…4人だ。
人と目を合わせるのが苦手で、なんとか声や仕草で個人が判別はできるものの、名前は本当にむずかしい。
覚えようという意欲もあまりないが、意識しなければ自然に覚えることはほぼない。他人への興味が少ないのかもしれない。
リビングで、いろんな人が話してる時、気分は猫。
居るだけ。ざわざわした空気感を髭で感じて、ごろごろする。
その距離感がいいんだ。
こりゃ覚えられそうにないわ。
奴隷船の乗り心地
真綿が敷き詰められた奴隷船、あるいはサーカスの綱渡り。
奴隷船で死ぬことはないけれど、少しずつ足が腐ってゆく。
うっかりではない。
実のところ、強引に、かつ意図的に奴隷船から抜け出した。
はじめて地に足がついたようで、ざらざらとした感覚が気持ち悪い。
責任だとか、義務だとか、権利だとか、どーでもいい。
公共の福祉なんて知ったことじゃない。
初めての感覚なんだ。
まだよくわからないんだ。
ただ一つ確実に言える。もうあの船には乗らない。
足は腐ってないか?
頭はどうだ?
走るとはどんな感覚だろう。
物心ついた時から、蜘蛛の糸の上を綱渡りしているみたいだった。
いつぷつりと切れるのか。
落ちたらどうなるのか。
…どこまで落ちるのか。
全てが不安だった。
ここが落ちた底なら、なんだ、奴隷船よりマシじゃないか。
「奴隷船の乗り心地は酷いものだったよ」
そういってケロリと、笑える人になりたい。